8.8 裏コマンド

人生の裏コマンドが欲しい

バグ技で、食欲がなくても栄養を取れて餓死しないテクとか、眠れない時に意識を飛ばせるハックとか、頭が痛い時に他の痛みで紛らわせてどうにかするみたいな。

どうにもままならない心と体を抱えて、鞭打って前進するしかない時に、現実に追いついてこない心と体を置いてけぼりにして/無理やり追いつかせて、体を動かすやり方を知りたい

 


育ちが志村転弧(ヒロアカ)の実家の物理暴力や折檻無し版だったので、

虐待や貧困があったわけではない(恵まれていないわけではない家)だけど、

そもそも所詮志村家なので、物心ついた時には鬱っぽかった。

 


ずっと「みんなそうなんだ」と思って生きてきた。

でも、ほんとうは「そう」じゃなかったと知って、環境のせいで歪められたものや取りこぼしたものを思って、最近はやるせない気持ちになってばかりだ。

「私の頑張りが足りなかった」と思って納得してきたことに、「そもそもあなたは払わなくていい労力を払った状態でこれに挑んだんだから、無理ゲーだったんですよ」がアンサーとして返ってきている。虚しくならないわけが、ない。

 


虚しい。虚だ。

 


時間を無駄にしていたようにも感じる。

 


私が生きることにしがみつこうとしてる時、他の人間は当たり前に生きる先にあるものに頑張りを注げていたのだと思うと、かなしい。

たまたま環境が良かっただけの人間に、「努力不足」の判を押されるのが、悔しい。

そう思ってしまう自分が、憎い。

 


様々なことに苛立ちを感じながら、それを抑えて生活をしている

寝ても寝ても足りないから、ずっと寝ていたい

 


でも、そんなことは無理だ。

ずっと寝ていることも、感情を喚き散らして聞かせるのも不可能だし、やらない方がいい。

だから、裏コマンドがほしい。

ままならない心と体を抱えて、「それでもなお」を生きる私たちに、確かなコマンドを。

葬式用BGMを公開⭐️

 

葬式のどこに故人の好きな音楽を挟む隙間があるんだろう。

 

https://open.spotify.com/track/6TcPbIurlb9xeK7ylAOjGm?si=lRTXBg8gRGeSjiEALcsRPQ&utm_source=copy-link

 

葬式なんて遺された人間の為のものなんだから、

私が私のために集めた音楽を聴かせてやる筋合いはないんだが、

でも、私は、私がいないところで私について解釈されることが大嫌いなので、

軽い気持ちで「私について解釈」できないように

参列者(きてくれてありがとうね)の精神を乱さなければならない

断固たる意志を持って。

近況 秋

¿

最近日記代わりに絵を描いている

その日感じたことや考えたことを描くというより、もっと陰性の、現実逃避した先で私が観ている風景の絵がほとんどだけれど。

 

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超自我ちゃん

 

超自我ちゃんはいつも何か(それが意味をなしていなくても)喋っていて、私はいつもそれを聞いて、頷いたり喜んだりしている。大半は、落ち込んでいる。超自我ちゃんは厳しいことや難しいことばかり言うけど、大体正しい。

 

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楽しいな

 

「たのしい」があれば少しだけのあいだ、不安はよそ見をしていてくれる。「たのしい」がなくなったら、不安に襲われて、死ぬ。

 

 

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みんなでみんち

 

ミンチミンチミンチミンチ価値ミンチ

 

 

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くび

 

生首でバスケとかする歌がある。私はその歌が大好き。

 

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KEEPOUT

 

私が開示した情報までが、介入していい領域です。そこから先には絶対に足を踏み入れないで。ゆっくり後ろに下がり、退却しろ。

 

 

 

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¿呪?

たった一人のあなたに、愛していると言うこと【輪るピングドラム全話感想/ネタバレ有】

 

2022年7月22日に、「輪るピングドラム RE:cycle of the PENGUINDRUM[後編] 僕は君を愛してる」が全国劇場公開に至る。

 2011年に放送されたアニメシリーズ「輪るピングドラム」(全24話)のリメイクとなる本作が公開される直前、社会を揺るがす大きな事件が起きた。とあるカルト宗教二世による、銃撃事件。これ以上この事件について紹介することも、私個人の思いを語ることも控えるが、輪るピングドラムが10年の時を経て私たちの元へ届けられる前にこのような事件が起きたことを、とても悲しく、空しく思う。

 この世界にはたくさんの物語があり、そして、物語では救えないような様々な人生がある。物語は、時に無力だ。どれだけ私にとってそれが癒しであろうと、誰かにとってそれが救済であろうと。間に合わなければ、届かなければ、暴力や諦念がある方向にむけて走り出してしまえば、物語はそこに作用することはできない。

 けれど。

 私はそれでも祈りたい。

 現実を生きるあなたに向けて投げられた物語が、あなたに届くことを。

 かつてあった全てに間に合わなくても、これから起きる全てに、せめて、間に合うことを。

 

 愛を与えられなかった子供たちが、愛を喪失した大人たちが、生存戦略を叫んだ先で何を見つけたか。物語が、あなたと、あなたが生きてきた世界に、どんな目線を向けていたか。

 

 あなたがいつか何かに打ちのめされるその時に、この物語が間に合ってほしい。もしその時に、この物語の登場人物の誰か(もしかしたら、この物語自体)があなたの心の隣に座って、静かに手を握ってくれていたら、きっと私は嬉しいと思う。

 

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1話 運命のベルが鳴る 

   

僕は運命って言葉が嫌いだ

 

物語は、高倉晶馬の独白から始まる。

 幸福な日常。朝の風景。けれど、その風景に大人の姿はない。そして、末の妹の高倉陽毬は病弱で余命がわずかであると示される。両親がおらず決して豊かではないものの、残された3人の時間を大切に暮らす兄妹の姿が描かれる。

「陽毬がいて晶馬がいてこの家があって。そういうの、幸せって言うんだよな」

 彼ら兄妹にとって、この生活は「生存戦略」であったように思う。のちに明かされるが、彼ら兄妹に血の繋がりは無い。本当の家族ではない彼らにとって、まるで「本物の家族」のように振る舞い、3人だけの「高倉家」を維持することは彼らの生命線であり戦略だ。

 しかし、運命は残酷だ。

 兄弟三人で行った水族館で、陽毬は倒れ、帰らぬ人となってしまう。

 

晶馬「どうして陽毬なんだよ」

冠葉「たぶん、それが俺たちに課せられた運命だからさ」

 

 末の妹の死に対する二人の姿は対照的だ。兄の冠葉が事実を受け止め極めて冷静に事態に対処する一方で、弟の晶馬は感傷的に妹の死を悼む。

 3人の幸福な家庭が壊れたことで、兄弟は生存戦略を失う。

言い争う二人の背後で、「改札」が開く。越境。生存戦略と叫び起き上がる、ペンギン帽を被った愛おしい末妹。

 陽毬の姿で不遜に語るプリンセス・オブ・ザ・クリスタル(陽毬のペンギン帽形態、というかペンギン帽に宿った何か)は兄弟に再び「生存戦略」を授ける。

ピングドラムを探せ」

 妹の命を繋ぐため、兄弟はあらたな生存戦略に挑む。そして、物語は動き始める。彼らの運命の至る場所へ向かって。

 

1話は輪るピングドラム前半の回の中でも特に示唆的な描写が多いため、少し語りすぎてしまった。まだまだ足りないくらいなのだが、これ以上書くのも今後この分量を毎話書くこともしんどいので、このくらいにしておく。

 

2話 危険な生存戦略        

 

1話は高倉家に焦点が当たっていたが、今回は荻野目苹果という少女に焦点があてられる。

高倉家にとっての生存戦略が「家族の維持」だったとするなら、苹果にとっての生存戦略は「家族を取り戻す(桃香になる/プロジェクトM)」である。

 高倉兄弟の生存戦略も苹果の生存戦略も、同様に犯罪行為によって遂行されていく。苹果はストーカー行為。高倉兄弟は盗聴/撮と空き巣行為だ。今後彼らの犯罪行為は、彼らの心が追い詰められていけばいくほど過激化していく。彼らには、もう戻る先がない。それは、彼らが既に居場所を喪失した子供たちだからだ。

 

3話 そして華麗に私を食べて…    

 

 3話はカレーを軸に話が進む。「カレーは大切な人と食べるもの」と苹果は語る。毎月20日は、荻野目家のカレーの日。家族みんなでカレーを食べる大切な日だ。しかし、苹果の「家族」はとうに壊れてしまっていた。自分が生まれた日に死んだ姉の桃果の存在と、離婚した父母。苹果が楽しみにしていたカレーの日は桃果の月命日だった。

「カレーは大切な人と食べるもの」

けれど、父母が本当にカレーを食べたかったのは、あの席に座っていた子供は、自分ではなかったのかもしれない。

苹果は、父母の口論を聞きながら、「桃果がいなくなったから家族が崩壊してしまった」ことを理解し、「自分が桃果になれば家族を取り戻せるのではないか」と考える。

 物語の中で「プロジェクトM」の意味は二転三転するが、結局は「桃果に成り代わり家族を取り戻す」というのがプロジェクトの本質であり、苹果の生存戦略なのだ。

 「大切な人たちが求めていたのは自分ではなかった」ことを受け止め、「自分が姉の代替品になる」ということを決心する。少女にとって、どれだけの決断だったか。

 ママへ。今夜は友達とカレーを食べました。ほかの人たちとカレーを食べるのは久しぶり。でも、家族……我が家で食べるカレーが一番おいしいです

苹果は母にメールを送る。苹果は、「家族」と書いた文字を一度消して「我が家」と書き直し送信する。あの家に、家族はいない。苹果が今から取り戻すものだから。

 

4話 舞い落ちる姫君    

 

 運命日記に記されたミッション、バードウォッチングデート。輪るピングドラム内でも屈指のギャグ回である。

 苹果の持つ運命日記に記されているミッションをこなす為に、高倉家で作った行楽弁当を手に多蕗とのバードウォッチングに向かう。しかし、ミッションは簡単には成功しない。思わぬ同行者である晶馬。スカンク。そして、ライバルである時籠 ゆりだ。障害物が増えミッションが思うようにいかなくなればなるほど、苹果の行動は暴走していく。そして、ついき、スカンクに襲われる形で池に飛び込み溺れてしまう。

溺れる中で苹果が告白するのは、多蕗への恋心ではなく、家族への謝罪と「最後にもう一度会いたい」という願いである。

 

5話 だから僕はそれをするのさ

 

 父と子供たちについて語られる。

 通り過ぎない嵐なんかどこにもない。でも、過ぎ去るのを待ってたら大切な人は守れない

 嵐の中、自分を守ってけがを負いながらも陽毬を病院に送り届けた父。冠葉はその言葉と背中を見て、長男として家族を守ることを決意する。冠葉にとって父の理想と自己犠牲は尊く思えたのだろう。

 そして、現在。冠葉は父の背中が見せたように、自分が傷つくことをいとわず陽毬を助けるために密かに動き続けている。

 一方、冠葉と対比される形で描かれるのは苹果と父の関係だ。苹果は父にとっての宝物でありたいと語る。それは、無邪気で無知な可愛らしい子供。父が自分以外の家族を手に入れようとしていることも、気づかないふりをする。大切で可愛らしい、父の宝物として、無垢な少女であろうとする。

 

6話 Mでつながる私とあなた   

    

苹果「この子たちは家族なんだから、いつもいっしょに決まってるでしょ」

晶馬「家族、ねぇ」

苹果「基本的なことでしょ!」

 

 プロジェクトMはついに初夜に向かう。家族を取り戻すために。

 6話ではついに苹果の家族の過去とプロジェクトの正体が明かされる。両親は桃果を喪い崩壊するという運命を課せられた。

「私、知ってるよ。運命が何かって」

 

桃香は僕の子供時代のすべてでした。運命だったんです」

 

 そして、苹果は、自分の運命が「両親が喪失した桃果に成り代わり崩壊した家族を取り戻すこと」であると語る。多蕗は、苹果と同じく、桃果を「運命」とする人だった。

 

7話 タマホマレする女    

 

 苹果のプロジェクトMは多蕗と結ばれて桃果になることだった。多蕗の家の床下に住み着き朝も夜も一緒にいることで一見彼女のプロジェクトは順調に進んでいるように見えたが(犯罪だが)、ここで再び試練が訪れる。ゆりと多蕗の婚約だ。

 この出来事により苹果の行動は暴走していくことになる。形だけの初夜ではなく、本当の初夜。多蕗とのセックスへと向かう。タマホマレカエルや劇中劇でギャグテイストになっているが、実際に行われていることはかなり過激だ。

 苹果の行動は桃果との同化という目的に向かい、自傷行為じみた方法をとる。タマホマレカエル作戦は失敗するものの、苹果はあきらめない。

 桃果ではない、桃果になれない自分には意味がないからだ。

 

8話 君の恋が嘘でも僕は

 

 8話にして、ついに苹果は多蕗に睡眠薬を盛り強姦する寸前にまで至る。

 苹果は多蕗に恋をしていたわけではない。年上の男性に向ける憧れに様な感情はあったかもしれないが、苹果のプロジェクトMは恋心からではなく家族を取り戻すために行われている。プロジェクトMを遂行することは、苹果の意思(恋心)とは関係ない義務なのだ。

 強姦は寸でのところで未遂に終わる。苹果の自傷行為のようなものでもあった処女喪失を引き留めたのは、晶馬のまっすぐな正義感だった。

 強姦未遂の後の嵐の中、苹果と晶馬は口論をする。本編19分のやり取りは、2人の対比について言及した需要な部分だ。苹果も晶馬も同様に、大切なものの輪郭をなぞっている。その中にある感情は無視して。苹果はプロジェクトMとして、自身と多蕗、ゆりの感情を無視して「桃香のふり」をしようとしていた。晶馬もまた、偽りの家族ごっこをしているのだ。

 

9話 氷の世界    

 

 あの日家族で訪れた水族館。ペンギンを追って空の孔分室に迷い込む陽毬から物語は始まる。

 両親がまだ家にいた頃。まだ兄妹が幼かったころ。陽毬は些細なわがままで母親の顔に消えない傷を作ってしまう。母娘の愛情の物語のように描かれるシークエンスは美しくもあるが、同時に呪いめいている。母の顔の傷。自分のわがまま。

 そして、その罪悪感を分け合った2人の友達。

 陽毬の心の深いところにある罪悪感と大切な思い出だ。

 

 9話は散文的な構造になっている。それは陽毬の深層心理に潜っていく流れであるというのもあるが、陽毬自身が忘れている(記憶を封じている)からというのも大きな理由だろう。

 

 陽毬は高倉家の精神的支柱となっている。病弱で可愛らしい妹を守るという使命は兄たちを支え、癒している。陽毬は目の前で口論が起きようとしているときもキョトンとし、のんきな様子を見せる。それは、高倉家の、そして「妹」としての生存戦略だ。無垢なように見える陽毬もまた、心に黒い淀みを抱えながら必死に「生存戦略」を叫ぶ子供なのだ。

 

10話 だって好きだから  

 

 苹果を守るために車にはねられ入院していた晶馬だったが、何者かに突然誘拐されてしまう。晶馬解放の条件は、冠葉が日記を指定の場所に持っていくこと。

 冠葉を痛めつけながら思い出の品々を差し出し続けるのは、冠葉の「本当の」妹である夏芽 真砂子だった。

 真砂子は「女の子」と「妹」二つの情念のバリエーションだ。女の子は苹果。妹は陽毬。真砂子の情念の矢印は全て冠葉へと向いている。「もう一度愛していると言ってほしい」「大切な妹だと言ってほしい」という真砂子の衝動は、今まで登場したどの女の子よりも過激に表明される。

 

11話 ようやく君は気がついたのさ           

 

 11話では、冠葉のかつての家族が登場する。陽毬と同様に、冠葉のかつての家族であるマリオもまたペンギン帽によって命を繋いでいた。

 輪るピングドラムで描かれる子供たちは、大人の助けが得られなかった子供たちだ。「大人の助けを得られなかった」という言葉をもっと露悪的に言い換えれば、大人に愛を与えられず、見つけてもらえなかった子供たちだ。子供たちは、様々な家族形態の中で「私を殺さないで」と生存戦略を叫んでいる。彼らが、ペンギン帽によって命を繋いだ大切な人を救おうと姿は、子供たちの危ういセルフヘルプだろう。

 11話。ラストはプリンセスクリスタルの「生存戦略しましょうか」というセリフで締められる1話の時点では何を意味するか分からなかった「生存戦略」というセリフが、ここにきてぐっと重い意味を持つようになるのだ。

 

12話 僕たちを巡る輪      

 

 12話を持って、高倉家の秘密が明らかになる。兄妹の両親はかつて日本中を震撼させた地下鉄爆破テロ事件を実行した組織の指導的幹部だった。そして、苹果の姉である桃果は、その事件に巻き込まれ命を落としていた。高倉家と苹果を巡る運命の輪は、16年前のテロ事件であった。

 子供たちの受難は続く。その日の夜、陽毬はまた息を引き取ってしまう。 

 高倉兄妹にとっての運命とは、彼らの両親が起こしたテロ事件にまつわる理不尽な罰と罪のことだろう。12話後半に晶馬の口から語られるメリーさんの羊の寓話は、兄妹が直面している現実そのもののありようだ。

 

 12話はアニメシリーズの折り返し地点であるとともに、作品の速度感が一気に変わる特別な回だ。

 彼らの運命がこの先どのような結末を迎えるのか。せめてそれが少しでも幸福なものであってほしいと思う。

 

13話 僕と君の罪と罰      

 

 さて、目下のところ、君は惨めで無力な子供だ

 

 渡瀬 眞悧は、己の運命を嘆くことしかできなかった冠葉をこう評して、現状を打開可能な解決策を示す。「王子様のキス」と彼が言ったそれは陽毬の薬を治療できる特効薬だ。冠葉は今後、この治療薬の費用を工面するためにラインを踏み越えていく。

 後半の眞悧の独白は、少女革命ウテナ的な言い方をしてしまえば、世界の救済機能である「王子様」の独白そのものだ。世界の嘆きが聞こえ、救済する力を与えられていた人間。眞悧と桃果はともに救世主となるべき人間ではあったが、眞悧は呪いに転じ、桃果は自己犠牲によりこの世界から消えてなくなってしまった。この世界は、救済に失敗した社会なのだ。

 

 物語は核に向かい下降していく。

 

 劇中で流れるTSMのCMは、登場人物たちとは対照的だ。社会はかつての悲劇を超えて先に進む。けれど事件によって愛を喪った人間たちは簡単には前に進めない。表面的には周囲と同様に現在を生きているように見えても、16年たった今もなお、同じ場所で立ち止まったままだ。

 

14話 嘘つき姫  

 

 桃果はこの世界の救世主(救済機能)であり、世界から消えてしまった存在だ。

 苹果はかつて桃果になることを目指していた子供だったが、晶馬との触れ合いを通して呪いから解き放たれた。輪るピングドラムの世界において、桃果という救世主無しで呪いを説いた子供である。一方、ゆりは自分の救世主である桃果を(例え偽物であっても)取り戻したいとあがく、愛を喪失した大人だ。苹果とゆりの逢瀬はゆりの思惑によるものだったが、物語の構造として、二人は対照的な存在だ。

 

15話 世界を救う者

 

 個人的な理由もあり、15話について話を始めることは困難を極める。14話時点でかなりしんどかったのだが、15話で語られるゆりの屈折は私が語るに余りある。

 男子二人旅行、めちゃくちゃ楽しそうでいいですね。

 

16話 死なない男

 

16話は夏芽 真砂子に焦点が当たる。

 真砂子とマリオは、強権的な祖父の元で怯えながら日々を過ごしてきた。

祖父暗殺の夢を見る日々で、時折来る父からの手紙や兄の訪問は、真砂子にとってかけがえのない「家族の絆」だっただろう。

しかし、祖父が死んでも、ばらばらになった家族が元に戻ることはなかった。父は組織から戻らず、親の呪いは教育を内面化した子供たちに受け継がれた。

 真砂子にとっての生存戦略とは、祖父の残した呪いの解呪=兄を取り戻すことだったのではないだろうか。

 

17話 許されざる者      

    

 前半に描かれる幸福な兄妹の日常(とはいえ陽毬が入院しているため病室での光景だが)とは対照的に、後半は高倉家の罪と罰が描かれる。兄妹の日常は、過去の呪いという深く暗い湖の張った薄氷の上に成り立っている。

 だから、これ以上僕たちになにも足さず、僕たちから何もひかないでください*1

 他作品の引用になるが、疑似家族を形成してセルフヘルプを行う子供たちの描写に際し、ここまでクリティカルなセリフはないだろう。高倉家の求める幸福とは、3人でいられる日常生活の維持でしかない。

 子供たちの純粋で拙い向こう見ずな祈りですら、彼らを取り巻く大きなもの(たいていの場合それは社会と呼ばれる)によって否定され、引き裂かれてしまう。

 天気の子では、陽菜さんは世界の人身御供として消え去り、残された穂高と凪センパイも大人のルールによって引き裂かれてしまう。そして高倉家もまた、過去の呪いにより崩壊の方向に歩みを進めることとなる。

 

18話 だから私のためにいてほしい

 

 子供時代の多蕗にとって愛とは有償のものだった。才能が枯れた実父を捨てて別の才能ある男性と結婚した母の姿は、「才能がなくなれば愛されなくなる」という事実を多蕗に突きつけ、自分より才能のある弟の存在が多蕗の強迫観念をさらに追い詰めることとなる。思いつめた多蕗は、自分の手(ピアノの才能、そして彼のこれからのピアニストとしての可能性)を代償に愛を得ようとする。しかし、母の愛はシビアで残酷だった。多蕗の願いもむなしく、母は多蕗に愛を与えなかった。彼女は多蕗に「きっと次のコンクールでは、あなたの弟が優勝するから大丈夫よ」と声をかける。多蕗が欲しかったものはコンクールの1番ではなく、母の愛だったのに。

 

 多蕗とゆりの共通項は、子供時代に無償の愛を得られず、親の求める対価を差し出すことで愛を享受する必要があったということだ。そのことに疲弊し絶望し、損なわれていくだけだった彼らにとって、無償の愛を与えてくれる桃果はまさに救世主だっただろう。

 

 しかし、救世主は失われてしまった。この世界に、救済機能がもうない。

 

 こんな世界で、愛に挫折した大人はどう生きればいいのだろう。

 この世界に残され、愛を喪い、絶望と憎しみが心を曇らせる世界で。罪悪感を抱えて、ただ日々を浪費するだけの日々で。モンスターになっていくだけかもしれない日々で。大人になってしまった人は、どう生きればいいのだろう。

 輪るピングドラムは、かつての子供たちにも温かい視線を向ける。

 

 私たちはどう生きていけばいいのだろう。この世界で。こんな世界で。

 その答えが、もしかしたらこの先にあるかもしれない。

 

19話 私の運命の人          

 

私たちは一緒にいるべきだと思うの。

桃果とも永遠に一緒よ。

家族のふりから始めるの。

私たち、いつか本当の家族になれるわ。

 

 多蕗とゆりは桃果をなくした同じ傷跡を頼りに繋がった仮面夫婦(疑似家族)だった。疑似家族という点で、多蕗とゆりの家庭は高倉兄妹の構築する疑似家族のバリエーションだ。高倉家は血のつながらない子供たちが肩を寄せ合い生活を営む。彼らはそれぞれ別の傷を抱え、そのうえであの家に住み、罪と罰を分け合っている。

 19話では、この疑似家族と血のつながった「本物の家族」が対比される。陽毬と真砂子の会談。陽毬が真砂子に詰問されるシーンでは、緊張感のある空気とともに高倉家の思い出(家族写真)が画面に描かれる。本当の家族のように見える兄妹ではあるが、結局は他人同士だ。一方真砂子は冠葉と血のつながった双子の兄妹である。真砂子からすれば、本物の家族である自分達を置いて、高倉家の人間として本来負わなくてもいい罪と罰を受け傷ついていく冠葉は見ていられるものではなかっただろう。

 19話では疑似家族と本物の家族が対比される。セルフヘルプ機構としての疑似家族は、どれだけ本物のようであろうと他人同士のつながりである。家族という形態を維持するために各々が拙い手つきで「家族ごっこ」をする愛おしい日常が、終わりに近づいていた。

 

20話 選んでくれてありがとう      

 

 求めるだけで、愛を与えることをしない世界。氷の世界。

 世界の現状を打開するために革命を志す大人たちの声は大きく、言葉は大げさだ。

 冒頭で語られる「氷の世界」へのアンサーが高倉家という寄せ集めの家族の実践なのであれば、それを第一に実践していたのは奇しくも実の息子である高倉晶馬だった。

 晶馬は組織が拠点にしている団地で陽毬に出会う。陽毬は母に捨てられ、子供ブロイラーで透明になろうとしていたところを冠葉が救い、リンゴを分け与えた。愛を与え、家族になった。愛を求め与えることをしない氷の世界を革命したいなら、誰かに自分のリンゴを与えればよかったのだ。

 20話は触れるべきことの多い回である。

陽毬が抱いていた「選ばれない子は捨てられるだけ」という虚無的な感覚のこと。理想ばかりを追い求めて自分の子供に向き合うことをしない父親のこと。そして、リンゴたっぷりのカレーのこと。

 時間には限りがあるし、私の言葉にも限界がある。今回はここまでで終わろうかと思うが、これから続く物語もまた、触れるべきものが多い中、私の力で書き出せるものをなんとか書いていこうと思う。とても難しいことではあるが。

 

21話 僕たちが選ぶ運命のドア  

    

 大切なもののために、子供たちはそれぞれのドアを選んでいく。

 冠葉はサソリの炎を。晶馬は高倉の罪を一人で背負うことを。そして陽毬は、自分のために兄が捨てたものを取り戻すためのドアを。

 追い詰められた子供たちに取れる手段は限られていて、たいていの場合それらは自分を損なうような結果につながる。彼らには、頼れる保護者も信頼できる大人もなく、対価にできるものはいつだって「自分自身」しかない。だから、彼らが「大切なもののために」と言って選び取る手段はどうしても美しい自己犠牲じみてしまう。

 

22話 美しい棺  

 

 家を出て冠葉の元にやってきた陽毬。陽毬の目的は、自分のために犯罪に手を染める冠葉を救うこと。ここにきて陽毬は、自分に思いを寄せる冠葉に対して色仕掛けじみた説得を試みるようになる。

 

神様お願いです。私が見て見ぬふりをしてかんちゃんから奪ったものを、かんちゃんに返してあげて。

 

 そして、物語はもう一人の「妹」、真砂子に移る。真砂子は冠葉を止める為、警察に包囲されている基地に潜入する冠葉に同行する。真砂子もまた陽毬のように冠葉を抱き留めながら必死に説得するも、冠葉はすでに一線を越え戻れないところにいた。

 

この世界は強欲なものだけにしか実りの果実を与えようとない。だから、すべてを捨てた父を、私は美しい人だと思っていた。でも、目に見える美しさには必ず影がある。あそこは、美しい棺

 

23話 運命の至る場所      

 

 潮干狩りのエピソード。見つけてもらえる子供。

 陽毬は晶馬にキスをする。キスは、実りの果実だ。果実とはきっと、愛のことなのだろう。

 そして、運命の列車は出発する。

 

24話 愛してる

 

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 この感想は、本編視聴後でないと意味が分からないしネタバレにもなる。また、今回書いているのは毎話毎話の評論というよりも、その話を見ながら私が考えていたことになる。

 その回で書いていることがそれ以前やその後のセリフや描写を踏まえたことであるのは言わずもがな、その回と一見関連しないようなことをツラツラ書いていることもあるかもしれない。そこに関しては、もう、なんとなくで読んでほしい。

 また、今回の記事に24話の感想はない。16話は個人的な思いから本当に言語化することが難しくああいった形になってしまった(申し訳ない)が、24話については、フィルム自体で感じたことを大切にしてほしいと思ったからだ。

 作品を見たときに、何を言葉にするか/できるかは、視聴者の中に蓄えたそれまでの人生によって異なる。人生の中に深く潜り探してきた言葉に、貴賤はないと思う。

 インターネットには様々な言葉があふれていて、輪るピングドラムの感想や評論を探せば、もっと優れた文章はたくさん見つかる。けれど、どうか、まずは自分の個人的な言葉を大切にしてほしい。あなた以外の言葉はたくさんあるけれど、あなたの言葉はあなたしか知りえないのだから。

 

*1:新海誠『天気の子』角川文庫,2019年,198頁